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Around Alone(単独世界一周レース)
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| アランドアローン レースは、当初1982年英国のガス会社であるBOC社のスポンサーで"BOCチャレンジ"として設立され、その後4年に1回開催されている。第5回1998/9年レースから"アランドアローンと改名された。次の第7回2006/7年から5-Oceansと改名され、オーガナイザーはSirロビン ノックス-ジョンストンにより開催される。 |
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| 第3回Around
Alone(単独世界一周レース)196日/完走 56〜57歳 |
| 斉藤さんの「アラウンドアローン」への初挑戦は、90年から91年にかけて行なわれた第3回大会です。3月にオーストラリアのティンキャンベイにて進水した「酒呑童子II」はシドニーへの処女航海を経て、トンガに入港し、アラウンドアローンへの参加資格を獲得しました。そしてレーススタート地点のアメリカ北東海岸へと航路をとり、9月、ニューポートにてアラウンドアローンがスタートしました。その後は南アフリカのケープタウン、シドニー、南米最南端のケープホーン、ウルグアイの各チェックポイントを196日の時間をかけて通過し、スタート地点のニューポートに帰港します。この初参加の第3回大会では3位の成績を獲得しました。レース後、ニューポートを後にした斉藤さんと「酒呑童子II」は、プエルトリコ、パナマ、ガラパゴス、タヒチ、フィジー、ポナペ、グアム、小笠原父島を経て、処女航海の90年3月から実に2年と3ヶ月の時を経て、三崎港に入港しました。
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| 第4回Around
Alone(単独世界一周レース)223日/完走 60〜61歳 |
| 2年後、再び斉藤さんと「酒呑童子II」の冒険がスタートします。94年5月に三崎港を出港した「酒呑童子II」は、ロングビーチ、バルボアを経てチャールストンに入港、9月に第4回アラウンドアローンがスタートしました。前回レースとほぼ同じ行程を走破するレースですが、ケープタウンへ向かう途中、船の浸水によりブラジルのカバデロに寄港、またシドニーへの行程ではオートパイロットの故障によりタスマニアに寄港、そして更には台風並の寒冷前線に襲われ通信が断絶し23日後にフォークランドの漁船パトロールに発見されるなど、多くのアクシデントに襲われながらも223日かけて出発港であるチャールストンに帰港、完走を果たしました。レース後、斉藤さんと「酒呑童子II」は、ポーツマス、ジブラルタル、スエズ、エデン、マレーシア、シンガポールを経て、三崎港に帰港します。その間、再び漁船に衝突され右舷前に穴があき、貨物船に救出されるアクシデントに見舞われています。 |
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| 第5回Around
Alone(単独世界一周レース)203日/完走 64〜65歳 |
多くのアクシデントに見舞われた航海からの帰港後約1年、97年4月に3度目の挑戦に向けた航海が始まります。4月に三崎港を出港した斉藤さんと「酒呑童子II」は小笠原父島、グアム、シドニーを経てタスマニアのホバートに入港します。ホバート出港直後、再び斉藤さんをアクシデントが襲います。メインシートに叩かれ左中指を骨折、負傷を抱えながら2週間走行しアルバニーで緊急入院した斉藤さんは2週間後に退院し再び出港、フリーマントル、ケープタウン、ポーツマスを経てファルモスに入港します。ファルモスから「単独大西洋横断レース」に参加し、ゴール地点のチャールストンに向かいます。「単独大西洋横断レース」からひと月後、第5回アラウンドアローンがスタートしました。この大会では大きなアクシデントもなく、チャールストンからケープタウン、オークランド、ケープホーンを経て出発港のチャールストンに203日かけて到着、3度目の完走を果たしています。第5回アラウンドアローンの終了後、途中アクシデントに見舞われながらもニューポート、ケープタウン、タスマニア、グアム、小笠原父島への航路を走り東京の夢の島マリーナに帰港しました。この航海中、ホバート入港時点で地球6周の記録を達成しています。
1998/9年第6回アランドアローン終了時の表彰式で欧米のヨット界は最年長挑戦者として、彼に「スピリット・オブ・アラウンド・アローン」の称号を与えた。これを最後にレーサーとしての引退を決めた。
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| 2003〜2004 |
| 第6回Around
Alone(単独世界一周レース)以降レースには参加しないが、優勝者に酒呑童子II杯を寄贈し主催側本部の支援している。 |
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From the May 2003 Race Awards Presentation
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